岩手県花巻保健所
金濱 興一
青海の長雲 雪山暗し
孤城遥かに望む玉門関
黄砂百戦 金甲を穿つも
楼蘭を破らずんば 終に還らず
(王昌齢 従軍行)
昨秋、私は中国西城の敦煌を訪れた帰途、酒泉、武威、蘭州に代表される河西回廊を飛行機の窓から眺めていた。眼下は一面水気の無い砂漠、ゴビの連続で、河や道路、城壁等が模様を描いている。特に土色の海面を見るかのような風紋が美しかった。
蘭州上空でまるい鏡のような大きな湖を見た。青海湖であった。中国大陸の奥深くに、青い海と名付けられた水があったとは。一面のゴビ世界に住む人々にとって、それは正しく海と呼ぶにふさわしく実に大きくきれいな湖であった。
この湖の北側を東西約千キロにわたって走る祁連山脈は、海抜五千メートル級で常に雪をいただいている。これらの雪どけ水が北麓を走る河西回廊のオアシス都市を潤しているといわれている。事実、敦煌で見たブドウ園や野菜畑は、砂漠の中とは思われない程美しく豊かで、清水も枯れることがないという。これまで見てきた中原の黄土地帯とは別の風景であった。
中国の水の悪いことは有名で、どこへ行っても生水は飲まれない。必ず茶として飲むか、湯ざましとして飲むしか方法がないようで、経験から言えば、紹興酒、老酒などの強い酒を飲む人は下痢しないようである。何度か訪れた中国で必ず下痢に悩まされる人を見かけたが、女性や年配者に多いようである。生水を飲まなくとも下痢をするというのは食器やはしからの感染が考えられる。私の女房は一度ひどい目にあって以来、「龍泉洞の水」を持参し、濡れティシュで食器を拭くよう心がけて、良い結果を得ている。ひとたび下痢に襲われたらすごい。バスの中で苦痛をこらえ、目的地に着いたとたんトイレ探しに走り廻って肝心の観光をしないで帰るということになる。こういう場合は正露丸を飲んでもなかなか効かない。
中国の一般的なトイレの特徴は便室がオープンであること。男子用は日本とそれ程変わりはないが、女子用となると大変で、仕切りがあっても扉がついていない。その仕切板の高さは人間が屈んだ時の肩の高さ程で、買い物篭を持った女性達が会話を交わしながら用を足していた、とは日本人の女性から聞いた話である。その時日本女性たちはどうしたかというと、一人が仕切の前にふろしきを広げて立ち、互いに交代して用を済ましたという。中国の女性の目にはどのように映ったことだろうか。
トイレの中はお世辞にもきれいと言えるものではないが、最近観光地や友誼商店のように、外国人が利用するところは洋風の水洗式が増えてきた。ただ、北京の八達嶺や西安の兵馬傭博物館などのような所では、入口に番人がいて使用料をとる。わずか1~2角(日本の1~2円)の金額を支払うことは何でもないことなのであるが、下痢などで緊急事態の人が苦痛をこらえながら財布の中の慣れない札や硬貨を探し出して渡すまでが大変である。更に又、そのような小銭がない場合など、言葉の通じない相手に身をよじりながら説明する時の苦しさは何とも言えない。日本の円に例えれば一円を出すべきところに、千円札しか無くて一生懸命に何かを言っている相手(日本人)を見て、言葉が通じなくとも事情を察して通してくれた番人もいた。これが本当の通じなのであろう。
中国旅行の醍醐味はやはり汽車の旅であろうか。広大な大陸を黒煙を吐いてダイナミックに走るSLの姿は、もう日本では見られなくなったが格別の旅情と魅力がある。山西省の省都太原から省北の都市大同まで、10時間のSLの旅は実に思い出深いものであった。この地域は二千年前匈奴の進入コースで、名将と言われた衛青や霍去病が三万の漢軍を率いて戦った古戦場で、車窓から見える丘陵地帯には烽火台や城壁の崩れた跡等が残っていた。車窓の風景と特産のモモをつまみにしながら、山西の銘酒である汾酒を飲み続け大同に到着した時は日が沈む頃であった。車内で出された中国の茶は、茶わんの湯に茶の葉をパラパラと散らして飲むのである。香りが芳しくおいしいのであるが、口の中に葉が入るとペッペッと吐き出さねばならないところがおもしろい。そんな楽しい汽車の旅でも、たった一つだけいやなことはトイレである。軟臥車、硬臥車の区別なく列車のトイレは汚れており、行くのを渋って我慢していた女の人がいた。
最後に、中国のトイレの特徴はし尿を壷や枡にためて汲みとるというのではなく、開放されたコンクリートのたたきの上にし尿を落とし、ある程度乾燥した段階で裏側からスコップとか熊手で運び出す構造で、日本の堆肥の処理と同じである。従って裏側の作業場から上を見上げれば、用を足すところが見えるという程大きな構造をしていた。
我が国よりもはるかに古く、長期間に亙って素晴らしい文化を誇ってきたこの国を見る度に、感動と憧憬の念を抱いてきたこの私も、これらの点になると多くの日本人同様失望の念を抱くのである。が、単にここで不快、不衛生極まりないと一蹴してしまうことにはいささか問題があろう。
日本の26倍の面積に12倍の人間が生活しているこの国に対して、「トイレは文化の尺度である」などという西洋の価値観で是非を言うのは通じない。彼らは歴史的にもヨーロッパより先輩であり、唐代には当時世界最大の繁栄を誇ったプライドも未だに失っていない。アヘン戦争時代の列強の侵略や、その後の同族の日本による蹂躙等にも壊滅することなく独自の文化圏を築き上げてきた力は、国土のスケールの大きさと民族の持つふところの深さではないかと見る。トイレ事情一つとって見てもその違いが現れているのではないか。日本は彼の国より豊かである(豊かとは何か)などという驕りの気持ちは捨てて、もっと謙虚にならなければやがて21世紀には逆転されてしまうであろう。
先進地の視察と称して欧米へ眼を向けるだけでなく、もっと隣人を知る必要がある。何度か足を運び中国の青年と交流する度に、彼らの輝く眼に秘められた底力の強さと日本の青年の失っているものが、ひしひしと迫ってくるのを感ずるこの頃である。