浄化槽雑感

岩手県水沢保健所
安部 隆司


 私と浄化槽の関わりは、トイレットペーパー騒動を引き起こした第1次石油ショックの翌年、岩手県一関保健所に新規採用された約20年ほど前から始まりました。
 当時、各保健所の環境衛生担当者の最も興味ある業務として浄化槽があり、職場で最初に手にした本が浄化槽に係る構造基準解説書でした。
 環境衛生担当者内のアダ名が「天皇」と呼ばれていた大先輩が同じ職場にいて、私は直接彼の指導を受けることが出来ました。浄化槽について何も知らなかった私を、ある病院浄化槽設置工事中の現場へ連れて行き、浄化槽の基本的な事項や誤った工事事例等について懇切に指導してくれました。
 また、環境衛生担当者の東北ブロック研修発表会が青森市で開催され、大先輩の研究成果を代理で発表するという機会があり、発表内容を全く理解していないままに壇上に上がるという、今考えると信じられないようなこともやってしまいました。
 浄化槽関係の演題の多くは、保守点検方法や機能維持に係る内容で、浄化槽メーカーの協力を得て試作浄化槽を一般家庭に設置してデータを収集するという大掛かりな研究を発表した県もありました。
 浄化槽の立ち入り検査を実施してみると、設置者の浄化槽に関する知識が殆ど無いためか、維持管理業者との関係が一方的であり、要請事項等が理解されないまま放置されるという事例が非常に多かったです。岩手県花巻保健所勤務時代に、ある中学校の浄化槽を立ち入り検査したところ、維持管理業者から要請のあった生理用品の取り扱いについて、女子生徒に指導する事項が放置され、施設の一部が閉塞し機能が低下していたので、校長先生と険悪な雰囲気になるまで指導したことがありました。
 また、大手の電気関係工場の浄化槽(900人槽)では、硝酸化が進行し処理水のpHが4~5となり、水質汚濁防止法の排水基準に適合させるため、高濃度の苛性ソーダ水をばっ気槽に投入し、活性汚泥を死滅させてしまいました。事後の調査では、活性汚泥について高度な知識を有する技術者がいたにも関わらず、緊急事態として実施したという信じられないような事例もありました。
 近年、生活排水対策の一環として、合併浄化槽の設置に対する補助制度を水沢市が昭和63年から実施したのをはじめに各市町村に広まり、浄化槽の設置基数が飛躍的に増加してきています。しかし、この変化によって放流先の水域、特に農業用水域は維持管理上、利水時期以外は放流を止めてしまうため、水質の悪化や悪臭の発生等が表面化してきました。管理者である土地改良区は、浄化槽設置者から使用料を徴収して利用させているところもありますが、土地改良区の構成員である農家から様々な苦情が保健所に寄せられており、逆に保健所からは、土地改良区に対して用水路の管理徹底を要請するという捩じれた関係が生じてきています。
 忙しさに紛れて浄化槽の立ち入り検査が疎遠になった私には、昭和58年に制定された浄化槽法により、保守点検をする浄化槽管理士や指定検査機関による法定検査など、浄化槽の維持管理が質的に向上した印象が強く、浄化槽はもはや専門家集団による管理時代が確立されたものと実感しています。
 浄化槽に係る種々の情報を指定検査機関、保守点検業者、浄化槽清掃業者及び保健所を有機的に活用できるデータベース化が、今後の課題として取り組まなければならないものと思います。